Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

ピカソのこと


僕は学生時代、富山県に住んでいたので、富山県立近代美術館へよく行った。山形の田舎で育ったので美術館なんて見たこともなかったわけで、ちょっと電車と市電で簡単に美術館に行けるということ自体が、見知らぬ土地で自分が一から生まれ変わったようでとてもうれしかったのだ。

先日、いつものTさんのブログを見たら、移転して新しくなったその「富山県美術館」に行ってきたことが書かれていたのでとても懐かしくなってあるものを本棚に探した。そのあるものとは、8年ほど前にゼミ生で企画した恩師の定年退職祝賀会に出席したときについでに寄って購入の「富山県立近代美術館」の常設展図録である。

当時の「富山県立近代美術館」は、常設展示が代わり映えしないいつもの作品ばかりが並んでた。そのおかげで前回行ったときも学生時代から20年以上も経っているにもかかわらず、その時と同じ作品が並んでいたのだった。まるで学生時代にタイムスリップしたみたいでうれしくなって、これまで見向きもしなかった図録を購入したというわけだ。

かつての「富山県立近代美術館」常設展示室に入ると最初に一枚のピカソの作品がある。それを初めて見たとき、がっかりしたことを覚えてる。ピカソといえば、といういかにもというそれらしき抽象画ではなく、ちゃんとした画(失礼ね。汗)のピカソだったからだ。『闘牛場の入り口』という1900年製作の初期作品。おもろくもなんともなく思ってしまった。単に見方がわからなかったのだ。そのことがなんとなく消化できなくてずっと違和感があったのだが、ようやくそれを解消できたのだ。

この間、ナショナルジオグラフィック製作の10回にわたるドラマシリーズ「ジーニアス」パブロ・ピカソの生涯というのを見終った。説明するまでもないあのゲルニカを描いた有名な画家であるわけだが、当然美術に詳しいわけでもないし、人物についてなにも知らなかったことを思い知ったのだ。まさかびっくりするほどの女好きというか、惚れっぽい人物だったとは。その女たらしぶりに唖然とし、ひっくり返ったとこ。

所有のナショジオ2018年5月号の特集「美の変革者ピカソ」よると生涯で愛した女性は10人。その中で結婚したのは二人。その10人についてはドラマでも描かれたようにいろいろとあるようなのだが、とっかえひっかえ、ピカソ一人でいた時期はなかったのは間違いないようなのだ。もともとの素質なのかあるいは名声と財力の成せる技なのか、その両方か。とにかく驚くばかり。だからといって、氏のモテ度を知っても僕のモテ度には何の変化をもたらさないのだが、ピカソの人生を知ったことで、作風が代わったその時の作品背景などを深く知ることができたことは大きな収穫だった。「闘牛場」がキーワードなのだ!!

富山県立近代美術館」の地味なピカソ。学生時代から40年近く経とうとして、ようやく自分の中のドライアイスが昇華したのである。