Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

心に残った言葉

思わぬ雪で中断したハウスへの肥料散布もあと一棟残すのみ。融けてなくなったのに、この間の雪で、元に戻ってしまった。農道の除雪作業からのやり直しだったのだ。そうだろう、そうだろう。これでこそ、雪国。雪の少ないのが、おかしかったのだ。おそらく、今年はこんな感じで寒さが続く気がする。4月上旬、定植後の管理はしっかりと・・・。


学生時代に読んだ本、「稲の道」(NHKブックス)。日本に渡来した稲のルーツを探ったこの本の著者、渡部忠世さんの新刊書が図書館にあったので借りてみた。氏は1924年生まれだそうだから、もう80歳以上のお年だ。借りた本のタイトルは「百年の食」。大学で農業研究の第一線で活躍されていた人が、今どんなふうに農業を考えているのか、と期待しながら読んだ。

百年の食 食べる、働く、命をつなぐ

百年の食 食べる、働く、命をつなぐ


この本には、農業に対する考えとして、彼に影響を与えた人の言葉が数々引用されている。その中でも、私が特に印象に残ったのは、宮本常一氏の言葉。


「考えてみると、農村というところは何だか利用され放しの世界のようである。そこに住む人たちは気がよくて、苦を苦にしないところがあったからすんで来たのであるが、今まで農村のことを真剣に考え、またその振興の根本対策を考えた人はないようである。しかもそこが日本を今日のようにまで発展させて来たエネルギーの源泉地であったのだが、その源泉も漸く枯渇しようとしている。」
(『宮本常一著作集2 日本の中央と地方』未來社、1967年のあとがき)


そのとおり、だと思った。私の生まれた年に書かれた文章だとは思われないほど、内容は古びていない。いや、農業を取り巻く状況が何も変わっていないのだろう。宮本氏の心配した「農業」は、結局、これまでの40年もった。しかし、今度こそ、氏の言ったとおりになると夢男は思う。今の70代の農業者が最後の砦なのだ。


渡部氏のこの言葉が印象に残った。

「今から20年前に、老後のことをしっかり考えずに、本気で農村に住む決断をしなかったことを私は後悔する。まだ足腰が丈夫であった60代ならば、本川の指摘する『老いの生き方』*1に最もふさわしい選択として、どこかの村に住んで、農業を始めることも可能であったものと思う。」

「もちろん、年をとってから一人前にやれるほど農業は楽な仕事ではない。しかし、できる範囲で、野菜でも稲でもいいが、小さな田畑で育てることは可能だったであろう。最低限の食料を自給して、環境汚染やエネルギーの無駄使いを、いささかでも少なくする生活をしてみるべきであったと、かなわなかったことを思ってみる。」

若くては出てこない言葉かもしれない。でも、これこそ、これから必要になることではないだろうかと思った。なにも「農業」は、おっきなものだけが「農業」じゃないのだ。

*1:動物学者の本川達夫の著書『「長生き」が地球を滅ぼす』