Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

農家の長男

 <農家の長男にとって家の仕事をどうするかは、古くて新しい問題だ。家業の跡継ぎ問題は農家に限ったことではないが、先祖代々受け継いできた土地や家を基盤として農業を営んできたという変えようのない事実は、それを受け継ぐことを期待されたものには年齢に関係なく重くのしかかるのだ。それが農家の長男である。これはいつの時代でもそうは変わらない。>



 夢男は農家の長男である。小さい頃から長男は家を継がなければならないと言われてきた。それに対して次男である弟は家を出なければならないと言われてきた。そういうものだと思ってきた。「家を継ぐ」ということは、二通りの意味がある。文字通り家に残り、土地や財産(親などの面倒をみることも含めて)を受け継ぐこと。家業(農業)を続けていくこと。当然、これは農家の長男だけのことではない。でも、農家の長男には、土地があってこそ農業が成り立っている紛れもない事実から、それを継ぐか、捨てるかを選択しなければならない時期が来る。自分のやりたい職業を選べば、その土地を離れざる得ないことも出てくるし、それは農業を捨てることになる。また、農業を選べば、すべての可能性を捨てて、その土地で生きる決心をしなければならない。



 小さい頃から夢男の家には家族みんながいつもいて、田圃や畑で仕事をしていた。それが生業としての仕事であるかそうでないかは意識してなかったが、それが自分の家の「普通のこと」だと感じていた。
 子供の頃、好きだったのが市場へ行くことだった。早朝、父が市場に野菜を出荷するのについて行き、荷物を下ろすのを手伝ったり、並んでいる出荷された品々を見ていた。父が前日出荷分の代金をもらってくるのを車の中で待っているときが最も楽しい時間だった。ビニール袋に入ったそのお金を見るとわくわくした。野菜が思いがけなく高く売れ、その額が前日より多かったりすると子供心に本当にうれしかった。
 農業を職業として初めて意識したのは小学校の授業でである。ある時、社会の授業で担任の先生がクラスのみんなに問いかけた。
 「家が専業農家の人、手をあげて。」
 自分は誇らしげに元気よく手を挙げた。23人中3人。ほとんどが会社勤めと稲作との兼業農家。農村の小学校だが、それでも専業農家は少数派だったのだ。授業で農業が取り上げられるとその内容についての説明を先生に求められ、それに答えることで得意になっていた。当時としては最新の農機具を駆使して作業する父親が自慢だった。
 
 中学生になり、高校受験をきっかけに将来に対しての夢(あるいは別の何か)を実現するよう考えなくてはならなくなった頃、家業が農業であることをいろんな点で意識するようになってきた。
 あるとき、同級生の女の子たちが話していた「農家には(お嫁に)行きたくないよね」。これを聞いてショックだった。農業はそんなものなのか。
 高校進学にあたって、どの高校を選択するのかが大きな問題だった。選ぶといっても選択肢はそんなに無い。家の家業のことを考えて、農業高校にするのか、それとも大学進学をふまえて普通高校にするのか、いずれかしかなかった。
 この時期、よく(家も世間も含めた)年寄りたちがよく口にした言葉があった。それは「百姓ではもうだめだ。月給取り(役所勤め)がいい。」である。この言葉は何回となく聞かされてきた。農業がもうだめであるか、そうでないかは詳しい農業知識のない自分には判断のしようがなかったが、ときおり家を訪れる年老いた農業者の雰囲気もあわせて考えるとそうも思えたのである。
 父はそういうことはいっさい口にしなかった。現に減反など数々の困難を乗り越えて専業農家として家族を養っているではないか。そのことが全てを表していたのだが、この時、夢男はそれが意味することに気が付かなかったのである。

 結局、夢男は高校卒業後の進路をある公立短大の農学科に進学することにした。それまで家業を通してしか知らなかった農業のイメージは一新した。学ぶにつれて農業の新しい世界を知り、ただの百姓ではない、広い世界で自分の力を試したくなったのである。そのときは自分が就農するとは、全く考えていなかった。

 夢男は卒業後、農林水産省植物防疫所という植物検疫を担当する機関に就職した。日本に海外から輸入される植物(野菜、果物、花卉など植物すべて)を病害虫が付着していないか、輸入が禁止されているものはないか、空港や港で検査する仕事である。要するに日本のの作物を海外の病害虫から守る仕事である。折しも、日本はバブル景気の最中。年々、輸入量が増えてきており、その忙しさは極めた。しかし、農家出身の夢男にとって、それほどまでにやりがいがある仕事はなかった。
 急増する農産物の輸入量。夢男は日常の仕事の中でそれを実感していた。また、それは日本の農業、つまり実家の家業である農業の苦境も表していた。日頃の忙しさとは裏腹に、日々感じる疑問。これでいいのだろうか。

 そんな中で帰省したある時、実家の裏手にある杉林の半分が切り倒されているのを知った。切った理由は、落ちる枝葉で家が傷むからとのこと。子供の頃、その中で毎日遊んだことが思い出された。腹立たしかったが、歳をとりつつある両親のことを考えると、合理的理由でそうしたことを認めるしかなかった。両親だけでは労働力不足で、その歳の作付に使ったビニール資材が畑の隅っこに放置されていた。口を出す以外に何もできない自分が情けなかった。

 そして、夢男は実家にUターン就農することを決めた。これほどすっきりとした気持ちになったことはなかった。夢男にとって、これからの将来において考えなければならない最大の悩みがなくなったのである。



 いま現在の夢男の悩みはいかにキュウリの収穫量を上げるかである。これから大きくなっていく子供たちのことを考えると経済的なことを何よりもに考えなくてはならない。しかし、お金に代えられない価値が農業にはある。だからこそ、農業に就いたのだ。それだけは大事にしていきたい。



 <農家の長男という立場は、その人の人生を考える上で微妙で複雑である。しかし、農業の価値が再認識される今こそ、就農のハードルが低い農家の長男の価値がある。夢男は前の仕事を辞めるとき、ある人にこう言われた。「農業ができるなんて、うらやましい」。これぞ、農家の長男の「幸せ」である。>