Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

「開田」にて

 ここ10日ほど山の中へ通って仕事をしている。晴れた日の午後の2時間だけだが。自宅から車で5分ほどだ。作業は荒地の茅(かや)の中に生えた小木を根本からノコギリで切ること。
 かつて、ここは田んぼだったのだ。コメの値段が高かった昭和40年代後半、親父が山を開墾して50aの田んぼにしたのだ。だからここは「開田(かいでん)」と呼んだ。田んぼを作ってない今でもそう呼んでいる。開田は平地より10mほど高いところにある。ため池からディーゼルエンジンのポンプで山の上にある水田へ水を揚げた。そのため、夏場はポンプのある小屋からパイプに沿って崖を何度も上り下りしなくてはならなかった。若かりし日の夢男の親父は、そうして山の中の田んぼで一生懸命米作りをしていた。
 そんな開田を親父は8年ほど前に突然やめた。減反面積が強化され、ちょうど「開田」面積分の水田をやめれば、転作面積を増やさずにずんだのだ。転作作物としてキュウリを栽培しているが、これ以上キュウリの面積が増えても人手と時間が足りなく、それをこなすには家族以外に人を雇うしかなかったからだ。また、ポンプや器機の老朽化、米価が年々下がっていること、「崖登り」が辛くなったこと、理由はいろいろあった。なによりも開田を始めた本人がやめると思ったのなら、それ以上いうこともない、と家族も思っていた。
 そんな「開田」に夢男が通っているのは、そこを「茅場(かやば)」にするためだ。「かやば」と言っても屋根に使うための「かや」じゃない。キュウリの畑の敷わらの代わりとして、あるいは有機質肥料として使うためにだ。
 現在、畑の敷わらは近所の農家から買っている。わらなら自分の家の田圃でもとれるじゃない、と思うだろう。でも、いま、稲刈りはコンバイン。収穫時にカッターで稲わらを細かくし、田んぼにまき散らすのだ。アタッチメントをつけてわらを束ねるようにしても、乾くまでに時間がかかり、それを取り入れる作業がさらに大変なのだ。結果、ほとんどの農家はわらを無駄にしているということになる*1。文字通り「稲刈り」をしてそれを干し、それから籾を脱穀して収穫するタイプの稲作は、わらが絶対に必要な畜産農家しか行なっていない。すごく手間がかかる作業だ。うちがわらを買っている農家も高齢でいつまでその大変な作業をできるかわからないという。うちの畑で健全な土を保つには、そのわらが絶対に必要。しかし、自分の田んぼからのわらでまかなうとすると手間がかかりすぎて本末転倒となる。そこで登場するのが、耕作をやめた「開田」なのだ。
 「開田」で「かや」を作る。もともと山の下草を肥料にしていた時代があったのだから、その効果に問題はない。育つのにほんのちょっとだけ人の助けがいるだけ。あとは山が育ててくれる。そこでじゃまなのが、かや刈りのとき、刈払い機のカッターの回転まで止める「ハンノキ」などの小木なのだ。いま「開田」に通っているのはそういうことだ。耕作をやめた「開田」にあっという間に生えた。山を田んぼするのはお金と時間がかかるが、荒地に戻るのはその何分の一かの時間と「やる気のなさ」だけで充分だ。
 「開田」にいると人工の音はほとんどしない。ときおり、道を通る車のエンジン音と空を横切るジェット機の音だけ。風のささやきと木々のざわめき。鳥や虫の鳴き声。あとは自分のノコギリと衣擦れの音。「ひとりだけ」というのがこんなに心地いいとは・・・。
 また晴れたら、行きたい。そんな風に思わせる秋の山である。

*1:田んぼに肥料として返されるということになるが、モノとしての「わら」の価値は無くなる