Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

「使われなかった人生」はある?

前回の記事で紹介した『世界は「使われなかった人生」であふれてる』で沢木耕太郎氏は「ありえたかもしれない人生」を夢想するより、「使われなかった人生」は自分にとって何かを考えたほうが建設的、というようなことを書いている。映画のようにはいかないが、自分にも「使われなかった人生」はないこともない。進学の時、就職の時、転勤の時。そして、就農し、結婚したとき。それなりに人生の節目という場面はあった。あの時こうしていればどうなったか、と今になって思わないこともないが、その時々の決断は迷わず決めてた。だからいまでも悔いはない。その時の自分にとってはその道しかなかったのだ。もしこうだったらというのは、自分にとっては「映画みたいな人生」だったら、というのと意味が同じだ。だから、いま、映画や小説を読んで「使われなかった人生」を疑似体験するのだ。

リトル・ロマンス [DVD]

リトル・ロマンス [DVD]

この間のAmazonの在庫一掃セールであまりに安かった(300円ちょっと)ので「リトル・ロマンス」も買った。それを嫁さんと観る。嫁さんと観るにはあまりにも純な内容の映画だが、朝のテレビ小説「ちりとてちん」を一喜一憂して観てる僕ら夫婦にとってちょうど良いのかもしれない。あんまり「アダルト」過ぎても逆に困るし・・・(笑)。
この映画、ダイアン・レインのデビュー作だ。当時13歳。確か中学生の時、洋画劇場で観て以来だ。現在のダイアンは「ローレン」がそのまま大人になったのだ、という感じがした。先日「パーフェクトストーム」を観たばかりなので、ちょっとそのギャップにとまどう。やっぱり、女の子は子供の頃は「かわいい」と言う言葉が似合うのだよね。大人に女性には普通は使わない褒め言葉。そう言われたらなにかあると思った方がいい(笑)。
確か、中学生の時に観たときは、ダイアンと一緒にベネチアに行くダニエル少年に感情移入してたのだが、今回はダイアンの父親とかローレンス・オリビエ寄りの気持ちになってしまっている。この年になると「娘の父」の立場からどうしても離れられない。
映画に続きがあるとすれば、あの2人はどうなったのか。気になるところだが、この疑問に対する回答にはいい答えがある。十河進氏の『映画がなければ生きていけない』がこの映画を取り上げていた。彼らがこのあと逢えても逢えなくても、それぞれお互いの記憶があるのだから、それでいいのじゃないか、という風に書いている。どうなったかを考えるのは野暮なのだ。

「使われなかった人生」はその時使われなかったからこそ、現在意味をもつのであって、そちらが使われてたら今の人生が使われなかったものとなる。そしたら、嫁さんもいないし子供たちもいない。農業もしてないし、いませっかく幸せなのに、そちらの世界は幸せじゃないかもしれない。初めて観た「リトル・ロマンス」から30年たって観て、ローレンの父親の気持ちになれたことこそ、本当に「幸せ」だと気がついた。