Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

無くて惜しまれるもの

盛衰の激しいパソコン業界の出来事の中で、ちょっと考えた。いま衰退の一途をたどる農業が、もし無くなるとしたら(そんなことは絶対にあり得ないが)、ワープロソフト「egword」のような「ただの道具」がなくなることぐらい(大事に思っている人、ごめん)、みんなは惜しんでくれるだろうか、ということを。

別に自分は日本の農業のために農業をやっているわけではない。ずっと農家に育って、農業関連に進学して、農政関連に就職して、そして家の農業をしているだけだ。自分が農業を続けていることが、結果として、農業を守っていることになるだけのことだ。「農業を守るため」に農業をしているのでは決してない。
今、中国の冷凍食品の件で大騒ぎだ。不幸にも食べて具合が悪くなった人は、本当に気の毒だ。中国と農薬と聞くとまたかという印象だが、それよりも驚いたのはその冷凍食品の種類の多さだ。あんなに多種多様なものを冷凍食品で食べてることに驚いた。夢男家では冷凍食品はほとんど買わない。だから、売り場にも行かないから、嫁さんもあれほどの種類があるなんて意識してなかったようだ。


野菜が売れなくなって、出荷する野菜の相場が下がる一方のここ数年。今回の件で知った冷凍食品の種類の多さ。家事にかける時間が少なくなって、やむを得ず輸入冷凍食品を利用するのだろう。時間のかかる手作りの素材としての野菜が、だんだんと必要なくなってくるのは当然のことだ。おそらく、国産の野菜が少なくなってくることよりも、冷凍食品の輸入がストップすることの方が消費者にとっては死活問題かもしれない。それほど、「食」に時間と手間をかける余裕がない、というのが現実なのだろうと思う。
現状はよく理解できる。だとしても、農業の衰退は一歩一歩進んでいっている。うちの両親もあと10年ちょっとで引退となる。そしたら、自分たち若手だけで農作業をやっていかなくてはならない。となると、現在よりも労働力は減るし、両親が培ったのと同様の知識と経験も必要だ。引退までに、自分たちが学ばなければならないことは多い。仕事ばかりだけではなく、日常、うちに伝わる代々の歴史もそう。すべてをひっくるめての「家族農業」だからだ。うちはまだいい。世代は若くなっても、毎日毎日、同じような流れでいくだろうから。でも問題は、農家であっても農家をしてない若い世代だ。お金にならないし大変だからしない、ということだったら、間違いなく、年寄りたちと同じレベルの仕事はできない。

先日、新聞の投書欄にこんなのがあった。
「田んぼをなぜ放棄しないのか。それは、先祖代々受け継いだ農村の共同体的生活を守るためです。また、雑草や害虫の発生をさけるためです。合理的な『農業経営』はずっとできていません。我々高齢者の労働力なら無償のようなもので、なんとかもっています。」(「H20.1.20朝日新聞・投書欄」岡山県・82歳男性・農業)


きっと、農業がなくなるというときは、「農業は大事だ。残さなくては。」って、みんな言ってくれるのだろう。「自分たちで食べるものは守らなくては。だから、農家の人にはいて欲しい。」って、絶対に言うな。間違いない。でも、その時にはもう遅いのだ。

日本の農業は間違いなく、あと10年から15年でだいたいが終わりになる。10年というのは、さっき書いたとおり、現状での「本気の農業」の主力たる両親以上の世代の引退があるからだ。終わりになるといっても、絶対に全部は終わりにならない。国が補助するのが間違いない基幹作物である「コメ」なんかは、ずっと作り続けられる。終わりになってしまうのは、いまの農家のじいちゃんやばあちゃんが作り続けている「大きな商売の農業」ではない「ちっちゃな農業」なのだ。産業的には小さいこの農業があるからこそ、同居の非農業若夫婦とその子供を支えている。家庭が成り立ち、農村が成り立っている。それが年寄り世代の農業なのだ。だから「ちっちゃな農業」が終わりになるということは、若い人にとって、子供たちにとって、危機となるのだ。


農業は大事だったね、なんて絶対に言われたくない。そうならないためにも、自分も含めた若い世代の人たち、自分の生活の足元を見た方がいい。今までの厚さ1メートルの氷が、実は30cmぐらいに減っていることに気付かないと・・・。冷凍食品に農薬が混じっていたことも大変なことだが、その冷凍食品に頼っている食生活そのものが危ういのだ。そのことに農業の人もそうじゃない人も早く気付かなきゃ・・・。