Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

ブログと日記

書くことを職業にしていない、ほとんどの人がそうだと思うが、ブログというものが広まってから、みんな、パソコンで「自分のこと」を書き出したのではないか、なんて考えた。ブログを開設するのは簡単だが、継続するとなると、結構これが大変。ブログを「本当の自分の日記」として書けるのであれば、ある意味、ずっと手間がかからず簡単なのだが・・・。
ほとんどのブログは「読み手を意識して」書かれている「公開してもいい読み物としての日記」だと思う。このブログもそう。できる限り、本音で書いてはいるが、これで本音が全部か、というとそれは違う部分もある。自分ももっと本音で書きたい内容はある。でも、そういった「本当の日記」の部分は、けっして不特定多数に読ませるものではないと思ってもいる。


自分のための日記に対して、ブログはみんなに読んでほしいから書いているのが普通でしょう。だから、ブログは本当の意味での日記にはなり得ない。実際の日記は本音を書かないと「書く」のが大変で長続きはしない。なので、本音が全くない日記ブログは長続きしないし、おもしろくないので誰も読まない思う。少なくとも自分はそう。とはいっても、このブログ自体、そんなおもしろくないものの一つともいえるのだが。まあ、自己満足だから、よしとする。


ここで「超漢字で日記」の作業の流れ。「超漢字」で日記を書きながら、その中でブログの内容に適したものを選ぶ。*1それを「仮身化」*2して、メールにドラッグ&ドロップ。そしてメールを送信、投稿する。そして、日記の中には「ブログの記事」も蓄積されていく。ブログに書いたものは、オンラインのものとしてだけじゃないので、その後、得た情報はブログとは別につけ足していける。つけ足すだけだったら、ブログでもできるのだが、入れたり削ったり、リンクさせたりは、圧倒的に「超漢字」が簡単。変更もリンクしているすべてに反映される。たとえがあっているか疑問ではあるが、感じとしては、昔のMacの「OpenDoc」「Cyberdog」に似ている。リンクだけだと「発行と引用」とか、Winの「OLE」とか。「超漢字」のすべてが対応しているというのが、ミソでしょう。以上、終り。


とにかく、日記を書いてもブログの記事を書いても、夢男がその日に感じたことには変わりないわけで、そういった意味ではどちらも自分自身の言葉。ただし、ブログを日記代わりにした場合、後で自分の記事は日記として読むと、ちょっと「きれいごとすぎ」なのが鼻について、日記の用を足さなくなる。例えば、今、書いているこの記事自体がそう。要するにちょっと「作った感じがある」のだ。そして、いやになってきて、遠のいてしまうのだ。そういうことだ。


ブログである程度は伝えたいけど、あくまでも日記ではない。本当の日記は公開しない。でも、「本音日記」と「ブログ用日記」の二度手間だと、忙しくなったら成り立たなくなるのは間違いない。そうじゃなくても、毎年、夏場は忙しさと気持ちの余裕の無さで、このブログも夏休みになる。
そこで「超漢字」で日記を書くと、今まで断念していた日記を「楽しんで」書ける上に、ブログの更新もばっちり。それをねらっているのだ。


そんな状況の夢男の「自己満足のための超漢字での日記書き」。読んでいる人には全く関係ないね。失礼(笑)

*1:というか、日記を書きながら、その一部をブログ用の記事としてにアレンジする

*2:Winで言えば、ショートカットみたいなもの。ちょっと違うけど。