Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

ネットと「さびしさ」

 久しぶりに川崎和男著『デジタルなパサージュ』(アスキー出版局)を本棚から取り出してきた。ここのところ、90年代のコンピュータ本を読んでいることもあるし、今年はMacintosh 40週年だと聞いて、当時購読していた『MACPOWER』誌に連載されていた文章を読みたくなったのだ。
 読み出してすぐ、そうそうこんな感じと川崎氏の文体というか、口調が頭の中によみがえってきた。はっきりと物事に対しておっしゃるので、ちょっとぎょっとしたのだけど、当たってることだけに心地よく、この連載を毎月楽しみにしてたのだ。
 その中で今読んでなるほどと思ったのが、1992年1月号所収「彩りの基本「利休ねずみ」」という文章の中で「さびしさ」についてかかれたところである。この中で氏は、

「「さびしさ」から生まれてくる「豊かさ」の質を文学や音楽に見いだすことはむずかしいことではない。時流に飲み込まれない強固な文化、その源泉は人生の「さびしさ」に多くあると思う。地方よ、田舎者よ、「さびしさ」を直視しょう。東京人よ、あなたの「さびしき」を大きく包み込む都会性とは、何なのか。」
「コンピュータ、たとえば通信ネットワークはこれから人間の、あるいは人生の「さびしさ」を解消するというのだろうか。時流にのって一時しのぎのために「さびしさ」をコンピュータ通信にあずけることは「さびしさ」を修めさに落とすことが。COMMUNICATIONとは、お互いに分配共有(COMMUN=共用、CATION=分配)することだ。いったい何を分配し何を抱き合うというのか。」
「少なくとも一方通行であったこれまでの放送メディアよりは双方向性をもったBBSの方が「さびしさ」を融解していることは確実だ。しかし、ただやみくもに「さびしさ」を廃棄する場所がコンピュータ通信となってしまったなら、それこそあのダイヤルQ2に巣食った卑しさを増殖させるだけになるだろう。」
「おそらくコンピュータ通信とそのネットワークは、東京への一極集中を拡散し、地方と地方とのコミュニケーションを構築するものになっていくだろう。」
p149 川崎和男著『デジタルなパサージュ』(アスキー出版局)

と述べている。
 ダイヤルQ2のくだりなんて、その時代に体験したので、今のSNSの様子を考えると妙に納得できる。まるで未来が見えていたようだ。
 ということで、招待制を廃止したという話題のSNSプラットフォーム"Bluesky"に、実は昨日から移民した。
 さて、そちらでどんな世界を築こうか。

懐かしのパソコン時代よ…

 ここ最近読んでる本といえば、80年代後半から90年代初めのコンピュータにまつわる本がほとんど。例えば、パソコンが世に出始めた頃とか、まだパソコン通信が全盛だった頃。インターネット前夜、まだWindows 95が出る前とか、そんな頃の本。『パソコン創世記』『矢野徹の電脳通信日記』『パソコンウォーズ』、そしてスティーブ・ウォズニアックの自伝、黎明期のApple社について書かれた『アップルを創った怪物』などなどを読んだ。

 この頃のインターネットは日本語のサイトが本当に少なくて、パソコン通信の方が情報量があった。もちろん広告なんてなかったね。今はパソコンよりもスマホやらタブレットを使っている人の方が多くて、コンピュータなんて知らなくてもネットが使える時代。いいのだか、よくないのだか。

 ネットを見ていて、パソコンでのWeb広告はそれほど邪魔には思わないけど、スマホのポップアップ広告には閉口する。いちいち表示されて邪魔だ。ブロックしているはずなんだけど…。閉じるボタンを押しそこねて、どうしても広告をクリックしてしまうんだな。どこに行っても広告ばっかり。誰もがスルーする(しないかも)広告が、便利にになったネットの未来だなんてちっとも思わなかった。こうなるとリドリー・スコット監督の『ブレード・ランナー』で描かれた広告があふれていた未来世界のなんと予言的なことよ。

パソコン創世記

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