Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

「農業」の温度差(気持ちの面で・・)

先週から農業関係の会合が何件か。年度末ということで、どうしてもこの時期に集中する。以前、青年農業士なる肩書きを与えられた。たまたま選ばれたというか、単に若手の専業の農業者があまりにもいないことで、自分が当たったというわけだ。それでいろいろと出席しなければならない事が多くなった。農閑期の会合は、夏場と違って忙しくないので、ハウスが危なくなるような大雪にならない限りは出席するのはまったく問題がない。
だが、正直言って、行政主催の農業関係の会合は気が重い。なぜなら、ほとんど形式だけのものが多いからだ。たいがい、長々と説明を受けてから、一応、お座なりに意見を聞かれる。だが農業問題は決定的な解決策がない暗中模索な案件なわけで、1回2回の会合の会合をしたところでどうにかなるものでもない。ましてや意見を言ってもどれだけ反映されるか・・・。それでも自分の意見を言えたのならまだいい。まったく意見も求められず、そのまま帰ってくることも多々ある。どんな会合でも出席した限りは得るものを一つでも見つけようと思っているのだが、全く時間の無駄というときもある。そんなときの帰り足は重い。貴重な時間返してくれ、と言いたくなる。

今日あったのは、地元の農業高校の学校評議員の会合なるもの。これも適当な人がいなかったらしく、たまたまお呼びがかかったもの。この高校からはインターンシップということで、夏場、我が家に農作業体験の生徒を受け入れている。その関係もあって、文化祭、各種研究発表等の学校行事に招待もされた。先の農業の会合より、農業高校に呼ばれる方がずっといい。なぜなら、そこには夢と希望があるからだ。これからの未来がある。農業の未来ではない。頑張っている子供たちの未来だ。少子化、農業離れの中で、学校運営も大変のようだが、少なくとも一生懸命がんばっている生徒たちにはそんなことは関係ない。今しなければならないことを精いっぱいやっているだけだ。
ちょっと前、あるグループの研究発表を見た。天候の関係で研究は失敗に終わったらしい。農業高校のプロジェクトは自然相手のものであり、そうそうやり直しは効かない。だから、結果は失敗という結果も当然ありえる。研究発表の中には楽しかったこと、不安なことも紹介されている。それって、なんて農業的なんだろ。農家が日頃体験していることと、全く同じじゃないか。そうしたことをごくあたりまえのように、力まずに普通に学んでいる農業高校って、なんて素敵なんだろ。
そんな風に思いながら、農業高校へ行った帰りの足どりは、ものすごく軽くなるのである。