Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

夢と希望さえあれば・・・『遠雷』

 夢と希望がなくちゃ、農業をする意味はない。と、夢男は思う。

 立松和平の『遠雷』の主人公、「満夫」は農業高校出身の農家の次男坊。銀行員になった兄の代わりに家を継いでいる。ボケかかっている祖母、田んぼを売った大金で身を持ち崩す父、未だに姑と折り合いが悪い母。バラバラな家族の中で、満夫は始めたばかりのビニールハウスでのトマトの収穫に精を出す。見合いで知り合った「あや子」と意気投合。彼女と結婚して一緒に農業をやりたいと考えるようになる。そして、ある事件が・・・。

 永島敏行・石田えり主演の映画はだいぶ前に見た。原作を読んだのは今回が初めて。読んでみて初めて、映画が原作の雰囲気をうまく表現していたことに気付く。以前に映画を見たからでもないが、主人公の満夫とあや子には先の二人以外の配役は考えられないと思った。それぐらいこの小説の描いた「農家の若い二人」にマッチしていたのである。まるで本当の農家の若夫婦であるかのように。

 20年以上前の作品だが、農家と農業を巡る状況は今と本質的にはそれほど変わってはいない。世代間の関係、代々の「家」としての農家、「村」との関わり、仕事と一体の生活など、どれ一つとっても農家のリアルである。けっして、よくある「農家を知らない人が描いた農業」ではない。なので、胸の中でうんうんと頷きながら読み終えてしまった。

 満夫のまわりでいろんな出来事が出てくるがそれらにもめげず、いや、むしろそれらから離れるようにトマト栽培に励む。ビニールハウスにいるほうがましなのだ。そんなか彼が気づいたのが、男一人での農業は、つまらないというか、寂しいというか、なにかが足りないということ。足りないのは「女」だ。見合いの相手、彼が言うに「子供をぺろりと産む女」なはずの「あや子」と一緒の農家生活を夢見てがんばる。あや子も今まで知り合った男たちとはタイプの違う満夫にひかれ、自分も農業をしてもいいかとも思い、トマトの収穫を手伝う。

 テレビで映画『遠雷』を見た当時、農業をすると女にもてないのかと農家の長男の夢男は落胆した。ビニールハウスでのセックスシーンに驚いた。当時中学生ぐらいだった夢男は、この映画で描かれた汗臭い、どろどろした人間関係の農業が自分の将来とは思いたくなかった。ところがだ、今はどうだ。こんなに農業に対して夢と希望にあふれた映画(小説)はないと思っている。

 なんで農業をやっているか。農業に対する理想、経済的な面、義理や義務。いろいろある。でも本当はそんなんじゃない。『遠雷』の満夫のように好きな女と一日中、一年中一緒にいたいから。それも理由なのかも知れない。それを可能とするのが「農業」という生活環境。就農して結婚して子供ができて、そのことに気付いたのだ。

 農業は全然たいしたことないもの。生き物がずっと子供を残してきたようにずっと続いてきただけのことだから。夢と希望があればいい。

 「かっこつけんなぁ」と『遠雷』は怒鳴っている。その通り!