夢男は、結婚して子供ができ、その子供のためにビデオを買うまで、あの有名なアニメ映画「となりのトトロ」を見たことがありませんでした。いちおう、名前だけは知っていたのですが、なぜか、それまで見る機会がなかったのです。いちおう、あの巨大なタヌキとネズミのあいのこのような「トトロ」そのものは知っていましたが。
就職して何年か経ったある時、同年代の男女が集う飲み会で、この「トトロ」を見てないことが大失敗と思える出来事がありました。
それは、その飲み会で映画「となりのトトロ」の話題になったときのことです。そこにいるみんなが、なぜか「トトロ」のことに詳しく、知らないのは夢男だけ。自分と同類だと思っていた友人達は、張り切ってしゃべりまくってます。
(「な、なぜ、そんなに知っているんだ!」)
心の中で動揺し、友人達を羨ましく思いました。結局、長く続いたその話題に最後まで加われず、飲み会は寂しく終わりを告げました。
その会のあと、しばらくして夢男は転勤を命じられ、その飲み会仲間が記念にとくれた「となりのトトロ」に出てくる女の子「メイちゃん」のぬいぐるみをもらったときも、みんなから「かわいい、かわいい」と言われても、それが「どれほどの価値」なのかわからなかったのは言うまでもありません。
そんな思い出深い「メイちゃん」のぬいぐるみは、退職して田舎で就農するときも捨てるに捨てられず、しかたなく持ち帰られました。そして、押入れの奥に忘れられたのです。
ところがその後、結婚し、「ミーちゃん」という娘ができ、物心のついた「ミーちゃん」は毎日のように「トトロ」のビデオを見ました。娘と一緒に見て、そこで初めて「となりのトトロ」の物語を知りました。夢男は初めて見たこの物語にとても感動しました。この物語には、今は無い、古き良き時代の農村での生活がいきいきと描かれています。
「この内容を知っていたら、あの時の飲み会で得意の田舎の話題にもっていけたのに。残念だ〜。」
夢男は嫁さんにそう言いました。
「知ってても、知らなくても、結果は同じだったんじゃない?」
くやしいですが、きっと、そうでしょう(笑)。
ミーちゃんは「トトロ」を見て、劇中、「メイちゃん」とその姉の「さつき」がおいしそうに食べるキュウリやトマト、トウモロコシを同じようにまるごと食べたい、と言いました。さらにトウモロコシは、畑から自分でとって家に持ってきたい、と。さいわい、夏だったのですべての野菜が揃いました。それらを食べて大満足。夢男はさらに、自分が「メイちゃん」人形を持っていたことを思い出し、ミーちゃんに渡しました。ミーちゃんは大喜び。
でも、最もうれしかったのは夢男だったのかもしれません。
就農する気持ちがまだできてなかった頃にその名を聞いた「トトロ」。それと持ち帰ったぬいぐるみとともに娘を通じて再会できたのもなにかの縁かもしれません。
きっと、全国の多くの子供たちが「となりのトトロ」を見ているのでしょうが、その物語の中と同じことを実体験できる子供は限られているでしょう。夢男は、つくづく農業をやって良かったと単純に思いました。
田舎であっても田舎らしさがなくなってきている今日このごろ。物質的に不自由しない便利な生活は快適ですが、その代償としてなくなったものも多々あります。豊かな自然。それを感じる感性。自然を恐れ、敬う気持ち。家族の絆。多くの子供たちが「となりのトトロ」にひかれたのは、そんな無くなった、あるいは、無くなりつつあるものが子供たちには「みえている」からかもしれません。
ミーちゃんの健康診断のときの会話。
医師 「ミーちゃんが好きなおかずはなに?」
ミーちゃん 「キュウリ。」
夢男の嫁さん (あせって、すかさず)「家がキュウリ農家なので。」
医師 (笑)「そうか。キュウリが好きなの。なにして食べるの。」
ミーちゃん 「味噌、つけて。」
医師 「それじゃ〜、おいしいよね。」
ミーちゃん 「うん、おいしい!」
夢男の嫁さん (ハンバーグとかグラタンとか、言えばいいのに〜。もう!)
いまどきの子供でこんなことを言うのは、キュウリ農家の娘の「ミーちゃん」だけでしょう。でも、キュウリ農家の夢男にとって、これほどうれしいことはありません。
たまたま、親が農家だった子供たちに対して、農業はどんな影響を与えているのでしょうか。農業や自然を好きになるのか、嫌うのか、またはなにも感じないのか。
わからないことはいくら考えてもどうしようもないので、とりあえず「トトロ」に出てくる一家のように明るく楽しくやっていきましょう!
農村生活が好きになるビデオとして、「となりのトトロ」をおすすめします。