Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

YASHICA ELECTRO 35 がキター!

f:id:Yumeo:20181219221943j:plain
YASHICA ELECTRO 35 「軍艦部の質感とランプの昭和感に惚れた!」

 ヤフオクで落としたオールドフィルムカメラ YASHICA ELECTRO 35 が到着。前回はプラスチッキーなRICOH A-1だったから、その反動での選択かも。よく調べもせずに手に入れたのだが、実は1966年の発売当時は「ロウソク一本でも写ります」などと宣伝されてかなり売れたモデルらしい。そういうことは後からわかったことで、単に第一印象で選んだのだが、実際に物としての魅力はかなりある。
 筐体やレンズはかなり綺麗。シャッターは切れる。とはいえ、問題はいっぱい。ダイヤルやヘリコイドはスルスル動くのだが、電池は手に入らない種類なのでいろいろ工夫が必要のようだ。裏蓋を開けると黒い粉がパラパラ。モルトの劣化である。貼り直さなくては。こんなことなら高くても試写確認済のやつをなんとかがんばって落とせばよかったかも。いや、これもオールドフィルムカメラ道の修行なのである。

夏の神社と一杯のコーヒー(TMAX100 その1)

 Minolta Hi-Matic 7sに入っていたKodakのTMAX100をようやく現像に出すことができた。冬に始めたオールドカメラでのフィルム撮影も案の定というか、意気込みとは裏腹に全くできなかった。デジタルだろうがスマホだろうが、夏は生きてるだけで精一杯(大げさww)。現像が上がってきて、ようやく何を撮ったのか思い出した。そういえば熊野神社に行ったのだったな。

f:id:Yumeo:20181129155935j:plain
狛犬の表面の粒状感がよい

f:id:Yumeo:20181129155957j:plain
開放感のある落ちついたカフェ

 夏はキュウリ仕事から逃げ出したくなるとカフェでコーヒーを飲みたくなる。御神木のイチョウの木の下にある熊野神社の境内にある「icho cafe」がそんなつかの間のオアシスなのだ。そんなに長居はできないのだけれど。ここのコーヒーはとても美味しい。いや、実は家で飲んでいるコーヒー豆と同じショップの豆だから自分たちの口に合っているのだから当然だ。でも、ひと味違う。仕事からの逃避行で味わうコーヒーのうまさ。

f:id:Yumeo:20181129160001j:plain
熊野神社の石段は少し急で、僕はちょっと怖い

 硝子窓から神社の石段を上り下りする人を見ているとあることに気付く。「やっぱり…」 ここはどうもお洒落をした若い女性が多いのだ。いつ来てもそうなのだ。ここはパワースポットとして人気の場所。軒に隠れている彫刻の三匹の兎を見つけられると何か願いが叶うだとか。そんなこともあって女性率が高いというわけだ。

 今回の撮影はどれも露出がアンダー気味だった。神社の境内で木の日陰での撮影だったし、日差しの強い日だったから、陽の当ったところは逆にオーバーになった。にわかフィルムカメラマンには難しかったけど、デジタルで露出オーバーしたものと違い、フォトショップでいじってみるとちゃんと黒い中でも写っているのがわかった。むしろハイコントラストが好きな僕にはもってこいの結果。デジタルで撮った鮮やかなイチョウもいいけど、神社にはモノクロフィルムが似合うと思った。

f:id:Yumeo:20181129160000j:plain
イチョウの木の下。木漏れ日

おじさんって、本当にイヤだね…

ヘッドライト HDリマスター版 ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール [DVD]

ヘッドライト
BSプレミアム(2回目)、☆5(やっぱ、☆4.5かな。哀しいから)

ジャン・ギャバン演じるしがない長距離トラック運転手とドライブインのウエートレス、フランソワーズ・アルヌールの悲恋映画。

この映画を初めて見たのは確か中学生の時。当時はNHKの教育テレビで月一回の名画劇場をやってて、そこで見たのが最初で今回は2回目。三十何年経ってるのになんで今さらかといったら、フランソワーズ・アルヌールが演じるクロが可哀想で可哀想で二度目はとても見られなかったからだ。先日BSの番組表でタイトルを見たら、昔のことを思い出しつつ、今はどう思うかと見たくなってしまった。おっさんとなった現在なら見方も変わるのか。変わらなかった。いや、その哀しさの理由がよりはっきりした。

クロがかわいそうな原因は全てジャン・ギャバンおじさんのせい。若い子に手を出したことが全て悪い。長距離トラックの運転手という重労働と子だくさんの満たされない日々。自分と同じように年取ってしまった妻。そんな時に偶然出逢ってしまったのがフラソワーズ・アルヌールだとしたら、ジャン・ギャバンおじさんでなくてもその若さと自分が失ってしまったものに憧れ、惹かれてしまうのは間違いない。仕方のないことだと思う。でも、老いた男はそこにすがってはいけないのだ。そこが踏ん張りどきなのだ。教訓。

暗く哀しい映画「ヘッドライト」。この作品に惹かれてしまうのは、ジャン・ギャバンとフラソワーズ・アルヌールとモノクロの映像がとても印象的だからだ。こっちまで眠気を誘う運転シーンの描写のすごさは中学生の僕にも伝わったぐらい。もっともドライブインのわずかな時間の逢瀬を待ちに待っている二人の心情は大人になった今だからこそわかったのだけれども。

劇中、圧巻なのは大雨の中をギャバンが運転する牛を運ぶトラックの場面。彼女に夢中になる前には大型の新型らしいトラック*1を運転していたのに、会社を辞めて古い家畜専用トラック運転手へ落ちぶれてしまう。そのトラックで二人は新天地へと向かうのだが・・。道中、体調の悪いクロがますます具合が悪くなっていくのだが、見ているこっちまで具合が悪くなってくるぐらいのリアリティ。変な人形。鳴き声を上げる牛。降り止まない雨。いつになったら着くのかわからない。本当に希望のない話。

そうそう、中学生の僕がフラソワーズ・アルヌールに興味をもった本当のわけ。石ノ森章太郎の『サイボーグ009』のフラソワーズ・アルヌールと同じだから。ふふふ。

*1:きっこのブログ」〜映画『ヘッドライト』が照らしているものは? http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2014/06/post-0380.html に詳しい