Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

「キュウリは年寄りっぽい」ことについて(その2)

仕事が農家だというと、次には「何を作っているの?」と決まって聞かれる。キュウリ農家だと答えると聞いた人の表情はなんと言っていいのかわからない困った顔になっていることに気づく。ここでサクランボ農家だとか、お米を法人として大規模に作っているとか、最新の施設でトマトを作っているとかだと、その後の話はすごく盛り上がるのに、キュウリというと違う意味で返す言葉がないようだ。ただし、年寄りだと「買えるの?」と聞かれ、ありがたいことに商売につながる…。キュウリがお年寄りとの会話を盛り上がらせてくれるのだ(笑)。
さて、こんなキュウリのおかれた立場。いつからこんなふうになったのか…。

  • <証言1>「農業全書」(宮崎安貞著)

元禄10年(1697年)刊行された日本最古の農書。これに「きゅうり」の記述がある。

「黄瓜(きうり)」
黄瓜又の名ハ胡瓜〈きうり〉、是下品の瓜にて、賞翫ならすといへども、諸瓜に先立て早く出来るゆへ、いなかに多く作る物なり。都にハまれなり。
(きゅうりは、またの名を胡瓜という。下等の瓜であって、賞味して食べるものではないが、多くの瓜に先立って早くできるので、田舎では多く作られている。都で作ることはまれである。)「農業全書」(宮崎安貞著・農文協

「第12信 車峠にて 六月三十日」

p159「私が食べられるものは、黒豆ときゅうりの煮たものだけであった。部屋は暗く汚く、やかましく、下水の悪臭が漂って胸がむかむかした。…」「日本奥地紀行」(イザベラ・バード著・平凡社ライブラリー

「第17信 市野野にて 七月十二日」

p199「…狭くて、汚れた加治川では、胸をむかむかさせるような肥船が次から次へ続いてきて、大変手間どった。どこまでも続く西瓜やきゅうりの畑、あるいは奇妙な川の上の風景に感嘆した。…」「日本奥地紀行」(イザベラ・バード著・平凡社ライブラリー

p202「米飯がないというので、私はおいしいきゅうりをごちそうになった。この地方ほどきゅうりを多く食べるところを見たことがない。子どもたちは一日中きゅうりをかじっており、母の背に負われている赤ん坊でさえも、がつがつとしゃぶっている。今のところきゅうりは一ダース一銭で売られている。」「日本奥地紀行」(イザベラ・バード著・平凡社ライブラリー

いかがです。年寄り臭くて、ドキドキしてきたでしょう!?
江戸時代から明治時代と、文献によるキュウリに対する印象はこのようなものです。悲しいかな、キュウリはお金持ちの食べ物ではなかった模様。どうやら、昔から間違いなく「普通の野菜」だったようです。これらを読んで、私は本当に悲しいような、がっかりしたような、やっぱりとも思えるような複雑な気持ちになりました。でも、読んだことで私のキュウリに対する気持ちの転換点となったことは間違いないのでした。

私のキュウリに対しての気持ちを含めて、その3へつづく…