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『オデッセイ・ファイル』に見えたもの

アーサー・C・クラークの『オデッセイ・ファイル』読了。副題に「パソコン通信のすすめ」とあったのがとても懐かしく、とても興味を惹いた。この本は二つの面から読むことができる。一つはSF作家アーサー・C・クラークと映画監督ピーター・ハイアムズとの映画「2010年」の製作過程での「書簡」のやり取り。二つ目は、その二人の往復書簡が1983年の当時では非常にめずらしかったパソコン通信の電子メールやファイルのやり取りとして行われたこと。それもスリランカコロンボ在住のクラーク先生とロサンゼルスのハイアムズ監督との地球の裏と表とで、モデム〜パラボラアンテナ〜通信衛星を介してパソコン間で直接のパソコン通信なのだ。

順序が逆だが、まず二つ目から。僕がパソコン通信を始めたのは忘れもしない1994年。当時、サラリーマン生活を止めて実家で農業をすることをある人に伝えたらその人ははこう言ったのでした。
「田舎に帰るならパソコン通信をやったら」
「パソコン持っているなら、モデムを繋いで通信しないとつまらない」
パソコン通信していれば、田舎でも都会でも同じ情報を得ることができる」
そして、その次の日、秋葉原にモデムを買いに行き、パナソニックの14400bpsのものを買った。確か5万円ぐらい。2400bpsのはずっと安かったけど、めずらしく高いのを選んだのだ。そして僕にはニフティサーブでのパソコン通信生活が始まった。

クラーク先生たちのパソコン通信は通信速度300bpseだったらしい。音響カプラを使ってのデータ通信。パラボラアンテナで衛星回線を使ってのデータ通信だから電話代は目ん玉が飛び出るほどのものだったらしい。本棚に残っている『月刊アスキー』(2006年8月号)の記事、コンピュータネットワーク年表を見ても当時の日本ではパソコン通信は始まっていなかったようだ。アスキーネットが1985年、PC−VANが86年、NIFTY-Serveが87年。パソコン通信ASAHIネット)で読者と交流しつつ、時にはストーリーが読者の意見が反映されたものになるという朝日新聞連載のSF小説筒井康隆朝のガスパール』でさえ、1991年。『朝のガスパール』のパソコン通信上でのやり取りはログ集としても発売されたようだ。ちなみにクラーク先生もやり取りの出版を想定していたからこそ『オデッセイ・ファイル』が発売されたのである。クラーク先生も筒井先生も商売上手はさすがなのである。

さて、一つ目。『オデッセイ・ファイル』での映画「2010年」の裏話がとても興味深い。あの名作中の名作「2001年宇宙の旅」の続編がどのようにして作られたか。Wikipediaのこの映画の項に

…略…ピーター・ハイアムズはクラークとキューブリックの両方に連絡をとった。キューブリックはハイアムズに「恐れてはいけない。自分の映画を撮れ」と語った。1983年にハイアムズはクラークと連絡を取りながら脚本を完成させた。

とある。要するに最後の一文がこの本の内容なのである。

「2010年」のストーリーはというと、舞台は「2001年…」の9年後となる。アメリカとソ連の外交的緊張が高まる中、ソ連の宇宙船レオーノフ号でHAL9000の故障の原因を突き止めるための米ソの合同調査が始まる。責任者はディスカバリー号のボーマン船長の上司フロイド博士(ロイ・シャイダー)。巨大なモノリスが出現したりトラブル続きで調査は難航。一方、緊張状態にあったアメリカとソ連が遂に実質的な戦争状態になる。レオーノフ号のソ連とアメリカの乗組員の運命は。モノリスの秘密とは。

この本では、ディスカバリー号とレオーノフ号のドッキングなど宇宙船の構造などの科学考証、宇宙船内でのソ連とアメリカの立場、ハイアムズ監督の「2001年…」で続編であることでのプレッシャー、そしてクラーク先生の博学さ、交友の広さなどファンなら泣いて喜ぶ内容ばかり。久しぶりに「2010年」を見たくなった。

それともに興味深かったのは、クラーク先生とハイアムズ監督のやり取りがまるで昔からの師弟関係のようでとてもいい感じ。自分の師とやり取りを思い起こすととても身近で心に来るものがある。時代が変わっても立場が変わっても腹を割った交流というものはとてもいいもの。痛感した。


オデッセイ・ファイル―アーサー・C・クラークのパソコン通信のすすめ

オデッセイ・ファイル―アーサー・C・クラークのパソコン通信のすすめ

朝のガスパール (新潮文庫)

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