Farmer's Talk Pop

(2018年12月末、はてなダイアリー「夢男のファーマーズ・トーク」を統合しました)

語られたことだけがすべてではなかった… 「善き人のためのソナタ」

善き人のためのソナタ

BS録画(初見)、☆5
冷戦時代の東ベルリン。国家保安省(シュタージ)の情報局員であるヴィースラー大尉は、大学の同級生でもある上司グルビッツ部長に命じられ、劇作家ドライマンを監視することになる。ドライマンには女優のクリスタという恋人がいるが、彼女は社会主義体制の中で"うまくよく生きる"ために有力者ヘムプフ大臣の愛人という立場にも身を置いている。ドライマンの部屋に盗聴器を仕掛けたあと、ヴィースラーはドライマンを取り巻く、芸術的、人間的な環境や思考に影響され始める。国と党に忠誠を誓い、命令には忠実であるが、彼もまた「人間的なものは残っていたのだ。
そんな中、ドライマンの親友の劇作家が自殺した。反体制ということで当局に執筆を禁止され、生きる希望を失ったのだった。訃報を聞いてドライマンはそれまでの立場を変えて、反体制に生きる決意をする。東ドイツについての秘密情報を西側の雑誌に掲載することを計画するドライマンとその仲間たち。それを盗聴していたヴィースラーは報告すべきところ、あり得ない行動に出る。彼の思考を変えたのは何か…。そして、ドライマンとクリスタの関係は…。

この映画は文句なく☆5。感動。安易な悲しい涙じゃない。人間を描いてる。傑作。名作。ずっと記憶に残る。

ベルリンを舞台にした映画といえば、観たのは「ベルリン・天使の歌」とか「リリー・マルレーン」とか「愛の嵐」。もっと他にもあったっけ…。とにかく映画の中でのベルリンは独特の雰囲気のある街。でも、なぜか冷たい感じのするこの街が舞台だと「人間」というものが際立つ。冷戦下とか、ナチスの時代とか、人間が人間らしく生きられない異常な状況下だとさらに「人間らしさ」というものが浮かび上がってくる。

この映画に出てくる人物たちは誰もがとても人間的。文字通り、いい人もいれば悪い人も出てくる。でも、際立っているのだよなあ、「ひと」たちが。特に人間的なのは、この映画の中で最も無口であって、劇作家ドライマンを監視するヴィースラー大尉。職務に忠実な彼がドライマンの部屋から文学本を持ってきて自分の部屋で読む。親友から送られた楽譜をドライマンがピアノで奏でる音色を盗聴機器で聴き、そして涙する。ドライマンが恋人のクリスタと愛し合う様子を盗聴し、そのあと家に帰って娼婦を呼ぶ場面なんて、この映画を観ている人はヴィースラーの気持ちを察するはず。その突然のあまりにも人間的な行動を見せつけられて驚くはず。

実利主義でうまく権力に取り入っているヴィースラーの大学の同級生で上司のグルビッツも逆な意味で非常に人間的。大臣のスキャンダルを利用して、出世しようとする彼の行動。成績のよかったヴィースラーに出世ではかったという優越感を口に出さずにはいられないなんて人間的。愛人のクリスタの自分への態度に一喜一憂するヘムプフ大臣もそう。愛と憎しみというなんて人間的な反応。この二人の悪玉のものすごく普通な人間性を見せられたら、物語的にはヒーロー、ヒロインであるはずのドライマンとクリスタの二人なんて、真っ当すぎて霞んでしまいそうなぐらい…。この物語の後半でもそれを感じさせる場面がある。

監視社会という極限の場に置かれた時、どういう行動を取るか。仕事としての命令に背けるのか。自分の意思は。自由とは。いや、何が善で何が悪なのか。すべての時代に通じるこの問題を、闇雲に感動をあおるのではなく、ヴィースラーの淡々と業務を遂行する姿を等して、映画は私たちに問いかけてくる。

ドライマンが自殺した親友の劇作家から送られた「善き人のためのソナタ」。映画のオリジナル曲だそうだ。音楽担当はあの「イングリッシュ・ペイシェント」のガブリエル・ヤレド。いい、としか言いようがなくてはがゆい。

この映画でヴィースラーは多くを語らない。でも、彼の信条はよくわからないけども、確実に観客に伝わってくるものがある。この映画を観た人はそれを知ることができて本当に幸せだ。心からそう思った。